主はそのしもべをあがなわれる
By Admin — 2025年7月25日
人生には、暗闇が終わりなく続くように感じる時、魂が救いを叫び、世界の重みが心を押しつぶそうとする時があります。
そのような時、私たちはただ希望を求めるだけでなく、確信を必要とします。
詩篇34篇22節は、その神の碇です。それは傷ついた者への命綱であり、疲れた者への救いのささやきであり、神は見ておられ、知っておられ、救われるということを思い出させてくれます。
📖 詩篇 34:22
「主はそのしもべたちのたましいをあがない、主に寄り頼む者は、ひとりも罰せられることはない。」
この節は単なる約束ではなく、神がご自分のものとされる者に対する義とあわれみ、そして誠実さの宣言です。
さあ、私たちもこの御言葉の真理に、ひとことひとこと、心から心へと、ゆっくり歩み寄り、この混乱と不確かな現代において、自分の魂を吟味させましょう。



詩篇34篇の背景
詩篇34篇は、ダビデがサウル王から逃れ、アビメレクの前で狂気を装って自分の命を救ったとき(サムエル記上21:10-15)に書かれました。
恐れと弱さの中にあったダビデは、聖書の中でも最も礼拝に満ち、信仰にあふれる詩篇の一つを書き記しました。
これは賛美の詩篇であると同時に、証しと教訓の詩篇でもあります。ダビデは本質的にこう言っています。「私は恐れていた。しかし主を求めた。私はひとりだった。しかし主は近くにおられた。私は打ち砕かれていた。しかし主は私を救い出された。」
22節で、ダビデは神の確かな保証で締めくくります。神に仕え、信頼する者は決して忘れられず、決して見捨てられないのです。
聖句の分解と解説
「主はそのしもべたちのたましいをあがない…」
- 「主」 ― ヤハウェ、契約を守られる神。この言葉は単なる一般的な称号ではなく、ご自身の民と関係を結ばれる神の御名です。主は聖であり、主権を持ち、非常に個人的なお方です。
- 「あがなう」 ― ヘブル語では買い戻す、束縛から救い出す、損失から解放するという意味です。神は積極的に介入し、救い出されます。
- 「しもべたちのたましい」 ― それは単なる肉体の命だけでなく、永遠の、内なる存在です。神は私たちの魂の永遠に深く関心を持っておられます。
関連聖句:
「わたしは知っている。わたしをあがなう者は生きておられ、ついにはちりの上に立たれることを。」― ヨブ記19:25
「しかし神はわたしのたましいをよみの力からあがなわれる。主がわたしを受け入れてくださるからである。セラ」― 詩篇49:15
この贖いは自分で得るものではありません。
それは「しもべたち」、すなわち主のために生き、御心に従い、へりくだって従順に歩む者に与えられるのです。

「…主に寄り頼む者は、ひとりも罰せられることはない。」
- 「ひとりも」 ― 一人も漏れなく。神に信頼する者は誰一人忘れられません。
- 「主に寄り頼む者」 ― これは明け渡しと信仰の行為です。神を信頼するとは、単なる信じること以上に、主のご性質に安らぐことです。たとえ主のみわざが見えなくても。
- 「罰せられることはない」 ― 直訳すると空しくされる、見捨てられる、荒廃するという意味です。どんなに人生が暗く見えても、主に信頼する者は決して一人ぼっちにされず、滅ぼされることはないと神は宣言されます。
関連聖句:
「あなたの御名を知る者は、あなたに寄り頼みます。主よ、あなたを尋ね求める者を、あなたは捨てられませんでした。」― 詩篇9:10
「わたしは若かったが、今は年老いた。しかし正しい者が捨てられ、その子孫が食物を乞うのを見たことがない。」― 詩篇37:25

現代への適用
見捨てられ、裏切られ、不安定な世界の中で、この御言葉はこれまで以上に大きな声で語ります。国々が震え、人間関係が壊れ、経済が崩壊し、心の健康が揺らぐとき、詩篇34:22はあなたの魂の灯台です。
この御言葉は私たちにこう語ります:
- あなたは忘れられていません。
- あなたは一人ではありません。
- あなたは救いの手の届かないところにはいません。
生活のために奮闘するシングルマザーも、不安と戦う若者も、敵対的な世界で信仰を守ろうとする信者も、神はあなたの魂をあがなうと約束され、決してあなたを見捨てません。
自己吟味と黙想のための質問
このセクションが、あなたの魂の探求を導き、御言葉を個人的に適用する助けとなりますように:
心の黙想:
- 私は本当に主のしもべとして生きているだろうか、それとも自分のために生きているだろうか?
- 私は自分の魂を主に委ねているだろうか、それとも自分でコントロールできる部分だけを委ねているだろうか?
霊的棚卸し:
- これまでに神が私をあがない、救い出してくださったことをどのように見てきただろうか?
- 私の信頼は神の約束に根ざしているだろうか、それとも状況によって揺らいでいるだろうか?
神との関係:
- 私は日々、主に信頼を置いているだろうか?
- 私は主に身を避けているだろうか、それとも一時的なものに頼っているだろうか?
実践的なステップ:
- 今、私の人生のどの部分を神に明け渡す必要があるだろうか?
- この季節、私はどのように神により忠実に仕えることができるだろうか?
悔い改めと刷新:
- 霊的に荒廃していると感じる部分があるだろうか?私は本当にその場所に神をお招きしているだろうか?
- 神の贖いの愛を体験するために、手放すべきものは何だろうか?
「神よ、私を探り、私の心を知ってください。私を試し、私の思いを知ってください。」― 詩篇139:23



力強い結論
詩篇34:22は詩的な願いではなく、神の御心からの約束です。それは心の傷ついた者、疲れた戦士、静かに苦しむ者のための御言葉です。
この中に、しもべを忘れず、体だけでなく魂をも救い出される贖い主の優しさが現れています。
忠実さよりも成果、真実よりも見た目が重んじられるこの時代に、この御言葉は私たちを心を見、傷を癒し、運命をあがなう神のもとへと呼び戻します。
もしあなたが主に信頼しているなら、どんなに暗くても、あなたは荒廃しません。あなたは見捨てられていません。あなたはあがなわれているのです。
🙏 祈り:主よ、私の魂をあがなってください
愛する天の父よ、
私は震える手と疲れた心であなたの前に出ます。私は影の中を歩きました。誰にも見えない嵐と戦ってきました。しかし私はこの真理を握ります。あなたは贖い主であり、あなたに仕える者を決して忘れないお方です。
主よ、どうか私の魂をあがなってください。
私が世界に見せている部分だけでなく、壊れ、隠された、恐れてさらけ出せない場所も。私は「十分でない」とささやく声や、「見捨てられた」とささやく偽りから救い出してください。あなたは、あなたに信頼する者は誰も荒廃しないと約束されました。だから私は、私の信頼をあなたの御足もとにささげます。
私は失敗し、恐れ、足りない者ですが、それでも私はあなたのものです。
義務からでなく、愛から、心を尽くしてあなたに仕えることを教えてください。私の人生があなたのあわれみを映し出すものとなりますように。私の魂があなたの恵みのキャンバスとなりますように。私は、贖われ、回復され、あなたのうちに生きる者として歩みたいです。
主よ、あなたの臨在で私を覆ってください。恐れるとき、あなたの御手の近さを感じさせてください。この世の騒がしさの中で、あなたの御声を聞かせてください。見捨てられたと感じる時、思い出させてください。あなたは私の贖い主であり、あなたはしもべを荒廃のままにはされません。
父よ、私は理解できなくてもあなたを信頼します。
痛みが現実でも、あなたの約束を信じます。
私のすべてを明け渡します。どうか私の魂から新しい物語を書いてください。
イエス様の尊い御名によって、
アーメン。