たとい倒れても、私は起き上がる
By Admin — 2025年7月23日
あなたはこれまで、人生に裏切られ、罪に追い詰められ、恥に覆われ、敗北に圧倒されて、暗闇の底にいる自分に気づいたことがありますか?
自分自身の失敗の重みに押しつぶされて埋もれてしまったように感じたり、敵が自分の転落を喜んでいる中に囲まれているように感じる瞬間があります。
👉 しかし、その壊れた聖なる場所で、一つの約束が立ち上がります。反抗的な希望が瓦礫の中に響き渡ります。「たとい倒れても、私は起き上がる。」
📖 ミカ書 7:8
「わが敵よ、私のことで喜ぶな。
たとい私は倒れても、また起き上がる。
たとい私は暗やみにすわっても、
主は私の光であられる。」
これは信じる者の人生における復活の力の宣言です。これがどういう意味なのか、ミカの時代にどう適用されたのか、そして今日の私たちにどう語りかけているのか、さらに深く見ていきましょう。



📖 ミカ書7:8の背景
ミカは紀元前8世紀の預言者で、腐敗、不正、偶像礼拝に満ちた国に語りました。ミカ書7章で預言者はイスラエルの道徳的堕落を嘆いています。当時、指導者たちは腐敗し、家族は分裂し、信頼は失われていました。
彼はこう宣言します。
「ああ、わざわいなるかな、
私は夏の実を集める時のようであり、
ぶどうの取り入れの残りを集める時のようだ。
食べるべき房はなく、
私の心の望む初なりの実もない。」(ミカ書7:1)
これは他人の罪だけでなく、その結果と沈黙に心を痛めている人の姿です。しかし、この悲しみの中で、ミカは7節で語調を変え、こう言います。
「しかし私は主を仰ぎ見、
私の救の神を待ち望む。
私の神は私の願いを聞かれる。」(ミカ書7:7)

そして力強いミカ書7:8の御言葉が続きます…
🔥 聖句の解説
ミカ書 7:8 - 「わが敵よ、私のことで喜ぶな。たとい私は倒れても、また起き上がる。たとい私は暗やみにすわっても、主は私の光であられる。」
🔹 「わが敵よ、私のことで喜ぶな…」
これは敵への叱責です。それは必ずしも肉体的な人間ではなく、神の民に立ち向かうすべての力(霊的、感情的、状況的)を指します。
敵は私たちが倒れると喜びますが、この宣言がその喜びを止めます。
🔹 「たとい私は倒れても、また起き上がる…」
これは「もし」ではなく、「たとい」です。
👉 失敗は避けられません。
👉 苦しみは過程の一部です。
👉 しかし正しい者は倒れたままではいません。
箴言24:16はこう語ります。
「正しい者は七たび倒れても、また起き上がる。悪しき者は災に陥る。」
倒れることが終わりではなく、起き上がることが神の力による私たちの応答です。

🔹 「たとい私は暗やみにすわっても…」
暗闇は喪失、落胆、孤独、混乱、視界が失われ希望がかすむ場所を象徴します。それは道徳的な失敗、悲しみの季節、あるいは待ち望む時かもしれません。
🔹 「…主は私の光であられる。」
これは福音の縮図です。主ご自身が私たちの光となってくださいます。詩篇27:1もこう語ります。
「主は私の光、私の救い。私は誰を恐れよう。主は私のいのちの砦。私は誰をおじ恐れよう。」



🌍 現代への適用
不安、裏切り、社会的不正義、霊的な疲れに満ちた世界で、この御言葉は私たちの錨となります。
あなたが依存、うつ、罪、恐れ、疑いに倒れているとしても——ミカ書7:8の約束はあなたのためです。
世は嘲笑うかもしれません。
友は去るかもしれません。
恥は叫ぶかもしれません。
しかし神は言われます。「立ち上がれ、愛する者よ。」
神はあなたが自力で立ち上がるのを待つだけでなく、あなたを引き上げてくださいます。
🔍 自己吟味と魂の省察
ここから御言葉が個人的になります。省察こそが癒しの始まりです。祈りつつ、聖霊に探っていただきながら、次のことを考えてみましょう。
質問:
- 私は倒れた時、神に頼って立ち上がろうとしているか、それとも自分の力でやろうとしていないか?
- 敵の声に神の声がかき消されていないか?
- 人生のどの分野で私は暗闇に座っているのか、主を光として招いているか?
個人的な告白:
- 他の人が倒れた時、私は彼らを励ますよりも喜んでしまっていないか?
- 失敗の中でも神の愛が変わらないと本当に信じているか?
実践への呼びかけ:
- どんな倒れも終わりではないと本当に信じていたら、私はどう生き方が変わるだろうか?
- 霊的・感情的・精神的に再び立ち上がるとは、私にとってどんな姿だろうか?
- 私は命を語る人々に囲まれているか、それとも私の暗闇を喜ぶ人々に囲まれているか?
聖霊があなたの答えを導いてくださいますように。
✝️ 関連聖句
📖 第二コリント 4:8-9
8 私たちは四方から苦しめられても、窮しない。途方にくれても、失望しない。
9 迫害されても、見捨てられない。倒されても、滅ぼされない。
📖 ヨハネ 1:5
「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」
📖 イザヤ書 60:1
「起きよ、光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上にのぼったから。」
📖 詩篇 37:23-24
23 人の歩みは主によって定められ、主はその道を喜ばれる。
24 たとい彼が倒れても、全く打ち伏せられることはない。主がその手をささえてくださるからである。

🙌 結論:正しい者の立ち上がり
ミカ書7:8は詩以上のもの、傷ついた者への預言です。これは神があなたの人生に宣言される聖なる言葉、あなたの倒れが終わりではないということです。
暗闇は永遠に続きません。
神はあなたを見捨てていません。
あなたが失敗から立ち上がるたび、復活を宣言しているのです。
暗闇に座ってもなお希望を語るたび、敵に戦いを挑んでいるのです。
神を光と信じるたび、その約束の力の中を歩んでいるのです。
倒れたままでいないでください。
立ち上がってください。
神はただ近くにおられるだけでなく、あなたの光だからです。
🙏 祈り:倒れるとき、主よ、私を起こしてください
愛する天の父なる神様、
私は震える手と疲れた心、つまずいた魂、長く影に座っていた霊をもって御前に出ます。
主よ、私は倒れました。
時には罪のゆえに。
時には悲しみのゆえに。
時にはすべてを支えようとする重荷のゆえに。
それでも——あなたは「たとい倒れても、また起き上がる」と言われます。
ですから今、神よ…あなたが私を起こしてくださいと願います。
敵が私のことで喜ぶことのないように。
恥が最後の言葉を持つことのないように。
暗闇が私の住まいとならないように。
神よ、私の周りだけでなく、私の内側にも、あなたが光となってください。
私が隠そうとした壊れた場所に輝いてください。
あなたに癒すことを許さなかった傷を照らしてください。
偽りが王座を築いた場所にあなたの真理を語ってください。
父よ、失敗によって私は失格ではないと思い出させてください。
倒れることがあなたの愛に値しない者にするのではないと。
穴が終わりではないと。なぜならあなたは復活の神だからです。
高慢ではなく、へりくだってあなたに頼ることを教えてください。
恵みを語る傷跡とともに私を立ち上がらせてください。
私の物語が、あなたが今も回復し、贖い、よみがえらせてくださる証しとなりますように。
夜が重くなり、沈黙が耳をつんざくとき、
私の足のともしび、暗闇のささやき、魂を支える平安となってください。
すべての倒れが私をあなたに近づけますように。
すべての失敗があなたへの依存を深めますように。
すべての暗闇があなたの光の新しい側面を示しますように。
私はただ立ち上がりたいのではなく、あなたと共に立ち上がりたいのです。
イエス様の力強くあわれみ深い御名によって、
アーメン。