聖書研究 主にある力
By Admin — 31 Dec 2025
最後に言います。主にあって、その大能の力によって強くなりなさい。(エペソ人への手紙 6:10)
今日の忙しい世界の中で、私たちはしばしば人生の要求に圧倒されてしまいます。仕事のプレッシャー、家族の責任、個人的な苦しみが私たちの肩に重くのしかかります。まるで世界の重荷を一人で背負っているかのように感じるのは簡単なことです。しかし、使徒パウロはエペソ人への手紙6章10節で、私たちの本当の力は自分自身から来るのではなく、主から来るのだと私たちに思い出させてくれます。
主にあって強くあるということは、自分の限界を認め、人生の戦いを一人で立ち向かうことはできないと認識することです。それは、私たちの心配や恐れ、重荷を、すべてを扱うことのできる神に委ねるようにとの呼びかけです。私たちが主の力に頼るとき、揺るがない力の源に触れることができ、不可能に思える障害を乗り越えることができるのです。
この力を体現した聖書の英雄たちの物語を考えてみましょう。若き羊飼いダビデは、自分の肉体的な力ではなく、神への揺るぎない信仰によって巨人ゴリアテに立ち向かいました。彼は「戦いは主のものである」(サムエル記上 17:47)と宣言し、本当の力は自分の力ではなく神の力を信頼することにあると示しました。同様に、使徒パウロも数えきれないほどの苦難を経験しながら、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」(ピリピ人への手紙 4:13)と書きました。これらの例は、私たちが神の力に頼るとき、私たちの力が大きくされることを思い出させてくれます。
実際に、どのようにして私たちは主にあって強くなることができるのでしょうか。まず、祈りと聖書を通して神との親しい関係を築くことです。神の言葉に時間を費やすことで、人生の困難に立ち向かうために必要な真理を身につけることができます。次に、私たちを励まし、支えてくれる信仰の仲間たちと共に歩むことです。神はしばしば他の人々を通して、私たちが最も弱いときに力を与えてくださいます。
さらに、主にあって強くあるということは、行動を起こすことでもあります。ただ神が介入してくださるのを待つだけではありません。信仰を持って一歩踏み出し、前進する中で神が必要な力を与えてくださると信じることです。正しいことのために立ち上がること、人間関係の和解を求めること、あるいは困難に思える召命に従うことなど、どんな時も神の力が私たちを強めてくださると信頼できるのです。
今日、私たちは主にあって強くあるという呼びかけを受け入れましょう。試練に直面するとき、私たちは一人で戦っているのではないことを思い出しましょう。神の力は私たちに与えられており、どんな嵐の中でも私たちを支えてくださいます。私たちが神に頼るとき、私たちの弱さの中で神の力が完全に現れることを知るでしょう(コリント人への第二の手紙 12:9)。ですから、私たちは大いに勇気を持って歩みましょう。宇宙の創造主が私たちを強め、私たちがその力の中で生きることを望んでおられるのです。