自分の救いを達成しなさい

By Admin — 01 Jul 2025
表面的な霊性と一時的なインスピレーションにあふれる世代の中で、すべての信者の魂には深い叫びが残っています。「本当に神と共に歩むとはどういうことなのか?」
デジタルな誘惑、忙しい生活、形だけのキリスト教が蔓延する時代に、使徒パウロの力強い勧めが雑音の中に雷鳴のように響き渡ります。
📖 ピリピ人への手紙 2:12-13
12 そういうわけで、わたしの愛する者たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしがいる時ばかりでなく、いない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。
13 あなたがたのうちに働いて、その望ませ、また行わせて下さるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
これは単なる命令ではなく、魂を揺さぶる招待です。自分の信仰を真剣に受け止め、心を吟味し、無関心ではなく畏れをもって歩み、流行ではなく聖さを追い求めるようにとの招きです。
それは、行いによる宗教から、神の力による変革へと私たちを呼び出します。それは畏敬と現実を伴うものです。
このピリピ2:12-13の聖書研究は、パウロの言葉の意味を解き明かすだけでなく、あなた自身の霊的状態に向き合うように挑戦します。
👉 それは魂の自己診断であり、恵みに包まれ、真理によって導かれています。
あなたが自分のキリスト者としての歩みに明確さを求めているなら、前進するための励ましを探しているなら、あるいは現代の信者の葛藤に語りかける言葉を求めているなら、これはあなたのためのものです。



ピリピ人への手紙 2:12
"... 恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。
「それゆえ、わたしの愛する者たちよ…」
パウロは温かさと愛情をもって始めます。「わたしの愛する者たちよ」。これは単なる形式的な言葉ではありません。彼は自分にとって大切な信者たちに書いており、彼が見ている時だけでなく、いない時にも従順であった人々です。
これは誠実さへの呼びかけであり、見せかけのためではなく、真実な献身から神を敬う生活を送るようにとの招きです。
🔹 現代の省察:
SNSのパフォーマンスや外側の評価が重視される世界で、この聖句は私たちの心を吟味するように促します。
私たちは人が見ている時だけキリストのために生きているのでしょうか?自分の霊性を人に印象づけようとしているのか、それとも誰も見ていないところでも本当に従順なのでしょうか?
「自分の救いを達成しなさい」
この命令は救いを得るために努力せよという意味ではありません。救いは恵みにより、信仰によって与えられるからです。
📖 エペソ人への手紙 2:8-9
8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。 それは、あなたがたから出たことではなく、神の賜物である。
9 行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためである。
むしろ「達成しなさい」とは、完成に至らせる、十分に成し遂げる、神が植えられたものを耕すという意味です。
それは、農夫が種(救い)を受け取り、労苦や訓練、剪定、勤勉さによって収穫を達成するようなものです。
これは能動的な信仰です。日々キリストに似た者となるための、絶え間ない聖化の過程です。
🔹 現代の省察:
今日の快適さ優先の文化では、私たちはしばしば即時の結果を求めます。しかし、霊的成長には努力、祈り、謙遜、従順が必要です。
現代のSNSや娯楽、映画や番組を通して聖さに至ることはできません。意図的でなければならず、努力が必要です——救われるためではなく、救われているからこそ行うのです。
「恐れおののいて」
この言葉は魂をつかみます。恐れおののいて?気軽な信仰や薄められた福音がもてはやされる世の中で、これは神が聖なる方であることを思い出させます。
📖 箴言 9:10
「主を恐れることは知恵の初めであり、聖なる者を知ることは悟りである。」
ここでの恐れは恐怖ではなく、深い畏敬、神が軽んじられるべきでない方であるという聖なる自覚です。
おののきとは、神の威光、公義、憐れみを十分に知る心の畏れを意味します。
🔹 現代の省察:
私たちは天国や地獄を冗談にし、罪を笑いものにします。しかしこの聖句は私たちを真剣にさせます。私たちは聖なる畏れをもって生きているでしょうか?自分の救いを尊く、聖く、永遠のものとして扱っているでしょうか?

「あなたがたのうちに働いておられるのは神です」
ここに美しい逆説があります。私たちが自分の救いを達成するように命じられている一方で、働いておられるのは神ご自身です。私たちは努力しますが、一人ではありません。神は望ませ(意志を与え)、また行わせてくださいます(実行させる力)。
📖 ガラテヤ人への手紙 2:20
「わたしはキリストと共に十字架につけられました。もはや、わたしが生きているのではなく、キリストがわたしのうちに生きておられるのです。今、わたしが肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をお与えになった神の御子の信仰によるのです。」
これは人間の力で努力することではありません。神の力に明け渡すことです。神は遠くから見ているだけの方ではなく、あなたの成長、葛藤、変革に積極的に関わっておられます。
🔹 現代の省察:
疲れていますか?失敗にうんざりしていますか?誘惑に圧倒されていますか?あなたは一人ではありません。神はあなたのうちに働いておられます——ただそばにいるだけでなく、内側で——あなたの意志を形づくり、心を動かし、神に喜ばれることを行う力を与えてくださいます。
「神のよしとされるところ」
なぜ神は私たちのうちに働かれるのでしょうか?それは神の喜びだからです。あなたは神にとって重荷ではありません。あなたの歩み、悔い改め、聖なる生活——それは神の喜びとなります。
📖 ルカによる福音書 12:32
「恐れるな、小さき群れよ。あなたがたの父は、御国を与えることを良しとされた。」
🔹 現代の省察:
多くの人が恥や自己嫌悪を抱えて生きています。自分は決して十分ではないと感じています。しかし、これが真実です。神はあなたを喜ばれます。あなたが完全だからではなく、あなたが神のものだからです。
神はあなたの変化、成長、神を慕う心を喜ばれます。
さらなる学びのための関連聖句
ローマ人への手紙 12:1-2 – 「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた供え物としてささげなさい…」
ヘブル人への手紙 12:14 – 「すべての人と平和を保ち、また聖なる生活を追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」
コリント人への第二の手紙 13:5 – 「あなたがたが信仰にあるかどうか、自分自身を調べ、また自分自身を試しなさい…」
ペテロの第一の手紙 1:15-16 – 「あなたがたも、すべての行いにおいて聖なる者となりなさい。『わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない』」
テトスへの手紙 2:11-12 – 「不敬虔とこの世の欲を捨てるように教え…」
イザヤ書 66:2 – 「…わたしは、貧しく、砕かれた霊を持ち、わたしの言葉におののく者に目をとめる。」

🙏 祈り
愛する天の父なる神様、
私は御前に、心におののきをもって、畏敬の念をもって進み出ます。
あなたの拒絶を恐れるからではなく、あなたの聖さ、
あなたのあわれみ、私のような者を救ってくださった恵みに圧倒されているからです。
あなたは私を浅い歩みではなく、より深い場所へと招いてくださいました。
都合のよい信仰ではなく、火によって精錬された信仰へ。
ですから、主よ、私を探り、どうか高ぶりや見せかけ、パフォーマンスを取り去ってください。
私が鈍くなってしまったすべての場所、
妥協の隅々、隠れた罪を明らかにしてください。
自分の救いを真剣に受け止めたいのです。それを失うことを恐れてではなく、
あなたがそれを与えるために払われた代価を畏れて。
どうか毎日、
私の思い、選択、沈黙、
戦い、失敗、明け渡しの中で、それを達成することを教えてください。
あなたが多くの犠牲を払われたものを、決して軽んじることがありませんように。
ただ信じているだけで満足することがありませんように。
あなたが従順と変革、聖さへと招いておられるのですから。
父よ、私は自分の力ではできません。
しかし、あなたが私のうちに働き、みこころのままに望ませ、行わせてくださると仰せられました。
ですから、私は降伏し、明け渡します。
私のうちに働いてください。
私の意志をあなたのものと一致させてください。
反抗心を打ち砕き、義を求める願いを呼び覚ましてください。
あなたの聖霊が私のうちに住むだけでなく、支配してください。
もし私が倒れるなら、どうか私を立ち上がらせてください。恵みは倒れたままでいる言い訳ではなく、再び立ち上がる力であることを思い出させてください。
どうか私を聖なる者としてください、神よ。人間の基準で完全でなくても、
心は清く、霊は献身的で、愛は分裂しない者としてください。
公にも隠れたところでも、あなたの御言葉におののく魂を映し出す人生を送らせてください。
あなたを喜ばせる聖なる人生を生きたいのです。
私の救い主、主、すべてであるイエス・キリストの御名によって
アーメン。