私は福音を恥としない

By Admin — 03 Jul 2025
日に日に暗くなっていく世界で、真理がぼやけ、価値観が人気と引き換えられ、信仰がしばしば嘲笑される中、ひとつの大胆な聖書の言葉が今も世紀を超えて響き渡っています。
📖 ローマ人への手紙 1:16
「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、信じるすべての人に救いを得させる神の力です。」
ローマ人への手紙 1:16 のこの言葉は、ただの古い羊皮紙に書かれた古文書ではありません。それは命を与える火であり、魂を目覚めさせる宣言であり、今日のすべての真の信者への勇気への呼びかけです。
👉このローマ1:16の詳細な聖書研究は、あなたの信仰において揺るがずに立つこと、イエス・キリストを恥とせず、捕らわれ人を解放する真理を恐れずに宣言することの本質に深く迫ります。
ローマ1:16の意味を探している方も、福音中心の励ましを求めている方も、単に福音の力を理解しようとしている方も、あなたは正しい場所にいます。
今日、恐れが心をつかみ、道徳的混乱が広がる時代に、私たちに必要なのは一時的な希望ではありません。救いを得させる神の永遠の力と十字架のメッセージが必要なのです。
この学びは、御言葉を一語一語開くだけでなく、あなたの心に触れ、魂を揺り動かし、神との歩みを挑戦するものとなるでしょう。



🔥 聖句の分解と解説
「私は福音を恥としません」
パウロは大胆な宣言から始めます。「私は恥としません。」 信仰を公言することが評判や仕事、時には命さえも失うことにつながる世界で、この言葉は時を超えて突き刺さります。
パウロはローマ、ローマ帝国の中心、知識主義と偶像崇拝、迫害に満ちた場所にいる信者たちに書いています。そこでキリストへの信仰を宣言することは、決して生半可なことではありませんでした。
これは、現代の私たちへの魂を探る瞬間です。
あなたは福音を恥としていますか?
- 友人がそれを嘲笑するとき?
- 同僚やクラスメートがそれをからかうとき?
- 文化がそれを排除するとき?
パウロが恥としないと言うのは、福音が弱い哲学ではなく、神の力そのものだからです。
🕊️ 関連聖句:
マルコ 8:38 - 「この姦淫と罪の時代に、わたしとわたしの言葉とを恥じる者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちと共に来るとき、その人をも恥じるであろう。」
「それは、神の力による救いです」
福音は単なるメッセージではなく、まさに神の力です。
「力」と訳されるギリシャ語は「デュナミス(δύναμις)」であり、力、能力、強さ、特に奇跡的な力や神の力を意味します。
これは自己啓発ではありません。
これはモチベーションではありません。
これは復活の力です。
💔 あなたが今、壊れすぎている、遠く離れすぎている、迷いすぎていると感じているかもしれません。
しかし、福音はあなたの完全さを求めません。ただあなたの信仰を求めます。
それは救いを得させる神の力です。これは部分的な助けではなく、完全な救いです。
🕊️ 関連聖句:
コリント人への第一の手紙 1:18 - 「十字架の言は、滅びる者には愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」

「信じるすべての人に」
福音は力においては排他的ですが、届く範囲においては包括的です。
神は富や地位、学歴や完全さを求めません。信仰を求めます。
信仰こそが救いを受け取るための扉です。
つまり、誰でも、その背景や罪、恥に関係なく、イエス・キリストによって永遠の命を受けることができるのです。
これは、現代の壊れた世界、増え続ける自殺、うつ、不安、孤独の中で特に慰めとなります。世界は一時的な安堵を与えますが、イエスは永遠の命を与えます。
🕊️ 関連聖句:
ヨハネ 3:15 - 「それは、御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである。」
「まずユダヤ人に、そしてギリシヤ人にも」
神の贖いの計画は完全な秩序を持っています。神はまずユダヤ人に福音を現され、その民からメシヤが来られました。しかしパウロは明確にしています。福音はイスラエルだけでなく、全世界のためのものです。
「そしてギリシヤ人にも」という言葉は、異邦人—すべての人を意味します。これにはすべての民族、国、部族、言語が含まれます。
分断や人種差別が社会を引き裂く現代において、福音は私たちを一つの十字架のもとに結び合わせます。
🕊️ 関連聖句:
ガラテヤ人への手紙 3:28 - 「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」
❤️ 現代への適用
この時代:
- 社会的混乱
- 道徳的混迷
- 宗教的無関心
- デジタルの誘惑
イエス・キリストの福音は今も揺るがぬ神の力として立っています。
この聖句はあなたに問いかけます:
- あなたは信仰において大胆ですか?
- 福音が本当に力強いと信じていますか?
- それを必要としている誰かに分かち合いましたか?
- 信じているように生きていますか?
🙏 自己吟味
- あなたが恥じることなく信仰を分かち合ったのはいつですか?
- 福音が誰にでも、あなた自身にも変化をもたらすと本当に信じていますか?
- 恐れがあなたの信仰を沈黙させていませんか?
- 自分の力ではなく、福音の力に頼って変えられていますか?
🕯️ 結論
ローマ人への手紙 1:16は、単なる言葉ではなく、すべての真の信者の心臓の鼓動です。神を恥とするこの世界で、問われているのは:
あなたはパウロと共に「私は恥としません」と言って立ちますか?
🙏 祈り
愛する天の父なる神様、
あなたの愛の前に私の心は畏れおののきます。その愛は激しく、完全で、私には到底ふさわしくありません。イエス・キリストの福音、救いを得させる神の力、私の魂を闇から救い出したメッセージ、暗い世界で私を支える希望をありがとうございます。
語るべき時に沈黙してしまったことをお赦しください。
勇気よりも快適さを、信仰よりも恐れを選んでしまった瞬間をお赦しください。
私は恥じていたことを告白します。しかし今日、ローマ1:16の御言葉の光の中で、私は宣言します:
私はキリストの福音を恥としません。
なぜなら、あなたの福音が私の罪の中で私を見つけ、
私を恥から引き上げ、
世が癒せなかったものを癒し、
私が決して得られなかった救いを与えてくださったからです。
聖霊様、恐れよりも強く燃える大胆さで私を満たしてください。
この世代の中で、雑音ではなく真理の声とならせてください。
十字架の力によって変えられた者として、生き、語り、愛する者とならせてください。
この福音を、言葉だけでなく、赦し方、愛し方、暗闇で輝く生き方の中に携えさせてください。
私の力によらず、あなたの力によって、恥じず、揺るがず、止められない者としてください。
世が私を拒み、友が離れても、私を救った真理が彼らも救うことができると知って、喜びをもって立たせてください。
イエス様、ありがとうございます。
福音のために。
あなたの血潮のために。
その力のために。
恥じないようにとの召しのために。
イエス様の力ある御名によって祈ります。
アーメン。