聖書研究 自分を超えて信頼する
By Admin — 04 Feb 2026
自己依存や個人の真理の追求が称賛されるこの世の中で、箴言28章26節にある知恵は、私たちがどこに信頼を置くべきかを改めて考えさせます。「自分の心を頼む者は愚かである。しかし、知恵をもって歩む者は救われる。」この御言葉は、知恵の本質と自己欺瞞の危険性について深い洞察を与えてくれます。
私たちの心は欺くものであり、一時的な感情や欲望、社会的な圧力によって、健全な判断や霊的な真理ではなく、誤った選択へと導かれることがあります。自分の心だけを頼りにするなら、愚かさに陥り、物事の全体像や自分の行動の結果に気づけないこともあります。「心に従え」と勧める文化の中で、この御言葉は私たちの心が誤った道に導くことがあると厳しく警告しています。
一方、知恵をもって歩むとは、自分自身を超えた導きを求めることです。神の御言葉に方向と理解を求めることを意味します。聖書の知恵は「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)。私たちが決断を聖書の原則に合わせ、知恵ある人々の助言を求めるとき、人生の困難をより良く乗り越えることができるのです。
知恵をもって歩む者への「救い」の約束は、希望の源です。知恵に根ざした選択をするとき、神の導きと守りを期待できると保証されています。これは困難を避けられるという意味ではありませんが、それらに立ち向かう力と明確さが与えられるということです。箴言は、私たちが動機や決断を神の真理に照らして吟味する、識別力ある人生へと招いています。
今日一日を過ごす中で、自分がどこに信頼を置いているかを振り返る時間を持ちましょう。自分の理解に頼っているのか、それとも神の知恵を求めているのか。祈りと聖書朗読で一日を始め、神があなたの心と思いを御心に向けて導いてくださるよう願う習慣を身につけてみてください。
「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1:7)。私たちが神への依存を認めるとき、神の導きの変革の力に心を開くことができます。自分の心ではなく、創造主の変わらぬ知恵に信頼し、知恵をもって歩む者となりましょう。
今日、知恵を求め、それに従って選択することを決意しましょう。そのとき、神の目的にかなった歩みの中で、救いと平安を見出すことができるでしょう。