聖書研究 主にある力
By Admin — 2025年12月13日
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強くなりなさい。(エペソ人への手紙 6:10)
私たちが現代生活の複雑さを歩む中で、しばしば様々な試練に圧倒され、重荷を感じることがあります。仕事や人間関係、そして自分自身への期待が、私たちの心と思いに重くのしかかることもあります。そのような時こそ、私たちの本当の力がどこにあるのか――主のうちにあることを思い出すことが重要です。
使徒パウロは、エペソ人への手紙の中で、私たちが自分自身の力によらず、神の大能の力によって強くなるようにと勧めています。これは、私たちが限られた人間的な資源だけに頼る必要がないという、力強い励ましです。むしろ、私たちは宇宙を創造し、一人一人を深く知っておられる神の無限の力にアクセスできるのです。
試練に直面したとき、恐れや落胆に屈しやすいものです。しかし、エペソ6章10節で語られている力は、単なる肉体的な持久力や精神的な強さのことではありません。それは、神が私たちに与えてくださる神聖な力にあずかることです。この力は、祈りと御言葉、そして交わりを通して私たちに与えられます。
主にあって強くあるとはどういうことか、考えてみましょう。それは、私たちが自分の苦しみの中で一人ではないと認めることです。神の約束により頼み、神の真実を信頼することです。私たちが弱さを感じるとき、コリント人への第二の手紙12章9節の言葉に慰めを見いだせます。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」この逆説こそがキリスト教信仰の中心です――私たちの弱さは、神の力が現れる機会となるのです。
では、実際に私たちの日常生活の中で、この力をどう養うことができるでしょうか。まず、継続的な祈りの生活を築くことです。祈りは神への直接の窓であり、私たちはそこで導きと力を求めることができます。次に、神の御言葉に親しむことで、神の約束と真理を心に刻むことができます。神が私たちの状況について何を語っておられるかを知るとき、私たちは信仰に堅く立つことができます。最後に、信仰の仲間たちと共に歩むことで、励ましと責任を分かち合い、自分自身を超えた大きな共同体の一員であることを思い起こすことができます。
今日、私たちの力の源について、しばし立ち止まって考えてみましょう。自分の知恵に頼ってはいないでしょうか、それとも神に立ち返っているでしょうか。主にあって強くあることを選び、その大能の力に信頼し、これからのどんな困難にも立ち向かう備えをしましょう。
この神の力を受け入れるとき、私たちは希望と忍耐をもって前進できます。神が私たちの味方であるなら、どんな障害も乗り越えることができると知っているからです。今日も、そして毎日、主にあって強くあり、神の無限の力から力をいただきましょう。