聖書研究 信仰の競走を走る
By Admin — 2025年11月19日
…私たちの前に置かれている競走を、忍耐をもって走り抜こうではありませんか、信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめつつ…(ヘブル人への手紙 12:1-2a JPN)
人生はしばしば競走にたとえられますが、実際、多くの人にとってこの比喩は真実です。マラソン選手がレースのために準備するように、私たちも人生がもたらす試練に備えなければなりません。ヘブル人への手紙のこの聖句は、忍耐をもって走ることを勧めています。この旅路は短距離走ではなく、忍耐と粘り強さを必要とする長距離走であることを強調しています。
現代の私たちの生活には、進歩を妨げる多くの障害があります。個人的な葛藤、社会的なプレッシャー、あるいは霊的な疑いかもしれません。困難に直面すると、圧倒されてあきらめたくなることもあります。しかし、忍耐をもって走るという呼びかけは、あらゆる試練が信仰を強める機会であることを思い出させてくれます。たとえ一歩一歩が重く感じられても、その一歩は最終的な目標に近づく歩みです。
忍耐をもって走るとはどういうことでしょうか。それは、疲れや誘惑があっても前進し続けることです。私たちの場合、ゴールは地上の成功だけでなく、神が私たちに与えてくださった目的を全うすることにあります。この忍耐は、イエスを見上げることから生まれます。イエスは模範を示された方であり、私たちが走り続ける力を与えてくださる方です。イエスは信仰の創始者であり完成者であり、私たちの旅路の初めから終わりまでをご存知です。目をイエスに注ぐとき、私たちはその御臨在から力を受け、前進する動機を見いだします。
では、実際にこの聖句を日々の生活にどう適用できるでしょうか。仕事や人間関係、信仰生活であきらめたくなる分野を思い浮かべてください。困難に目を向けるのではなく、イエスに目を向けましょう。祈りの時間を持ち、イエスの約束を思い巡らせてください。また、信仰の仲間と共に歩み、励まし合いましょう。ランナーがコーチやチームメイトに支えられるように、私たちも人生の競走を走る中で支えが必要です。
さらに、忍耐をもって走るとは、一人で走ることではないことを覚えていてください。神は私たち一人ひとりに特別な賜物を与えてくださっています。互いに励まし合いながら、それぞれの競走を走ることができます。友人と重荷を分かち合い、助けが必要なときは遠慮せずに求めましょう。私たちは互いに愛と善行を促し合うことができるのです(ヘブル人への手紙 10:24)。
今日もあなたの競走を続ける中で、この聖句があなたが一人ではないことを思い出させてくれますように。イエスを導き手とし、信仰の仲間の支えを受けて、忍耐をもって走り続けてください。イエスに目を注ぎ、目的をもって走りましょう。あなたの一歩一歩が、神の約束の成就に近づく歩みとなるのです。