聖書研究:心が打ち砕かれたとき、主は近くにおられる
投稿者 管理者 — 2026年10月23日
人生には、言葉ではあまりにも小さすぎると感じる時があります。悲しみは胸に重くのしかかります。拒絶は、私たちに自分が顧みられていないと感じさせます。失敗は、私たちはひとりぼっちだとささやきます。しかし、詩篇34:18は、痛みの最も深いところにまで届く約束を与えています。「主は心の打ち砕かれた者に近く、霊の砕かれた者を救われる。」
この節は、私たちが強く、明るく、何もかも整っている時にだけ神が近くにおられる、とは言っていません。心が砕かれている時に、神は近くにおられると言っているのです。つまり、あなたの痛みが神を遠ざけることはありません。あなたの涙が神を遠い存在にすることもありません。あなたの弱さは、神の臨在への妨げではありません。むしろ、多くの場合、私たちの最も低い時にこそ、神の近さはいっそう尊いものとなるのです。
現代の生活の中で、私たちはしばしば自分の苦しみを隠すよう教えられます。前に進み続け、前向きであり、すべてをコントロールしているように見せるよう言われます。しかし聖書は、もっと良いことへと私たちを招いています。すなわち、神の前で正直であることです。神は、あなたが担っている重荷をすでに知っておられます。失望も、孤独も、不安も、ほかの誰も気づかない静かな戦いも、神は見ておられます。そして、神は近くに来てくださるのです。
心が砕かれていることは、神があなたを見捨てたしるしではありません。むしろそれは、神があなたをいやし始められる、まさにその場所であるかもしれません。主は、ただ遠くから痛みを眺めておられるだけではありません。主は、霊の打ちひしがれた者を救い、回復させ、引き上げてくださいます。主の慰めは浅いものではありません。主の愛は一時的なものではありません。主は、人生が引き裂いたものを包み、いやしてくださいます。
もし今日、あなたの心が粉々に砕けているように感じるなら、この痛みが永遠に続くという偽りを信じてはなりません。それを主のもとに持って行きなさい。ありのままを主に告げなさい。この一時間のための力を、この一日のための恵みを、そして明日のための希望を求めなさい。主は、あなたが完全になってから近づこうとしておられるのではありません。主はすでに近くにおられるのです。
「神はわれらの避け所また力、悩める時のいと近き助けである」(詩篇46:1)。これは、あなたが悲しみの中をひとりで歩いているのではない、という意味です。あなたの涙をご覧になる同じ神が、あなたの未来をもその御手に握っておられます。神は、恐れのあったところに平安を、悲しみのあったところに喜びを、そして砕かれたところに美しさをもたらすことがおできになります。
今日、この真理のうちに憩いなさい。主は心の打ち砕かれた者に近くおられます。あなたの痛みは見られています。あなたの霊は忘れられていません。そして、近くにおられる神は、救うに力ある方でもあるのです。