聖書研究:賢く信頼する
By Admin — 2025年12月16日
私たちの忙しい現代社会では、自分自身の本能や感情に頼るプレッシャーが圧倒的です。「自分の心に従いなさい」や「直感を信じなさい」といった言葉をよく耳にしますが、それは力強く聞こえるかもしれません。しかし、箴言28章26節は私たちに厳粛な戒めを与えています。「自分の心を信じる者は愚かである。しかし、知恵をもって歩む者は救われる。」
一見、この御言葉は厳しいように思えるかもしれませんが、人間の知恵の本質と、自分自身だけに頼る傾向について深い真理を語っています。私たちの心は感情や欲望で満ちており、しばしば私たちを迷わせます。導きを求めずに自分の感情だけを信じると、一時的な感情に基づいて決断し、確かな原則に基づかない選択をしてしまう危険があります。
箴言の著者であるソロモン王の例を考えてみましょう。彼は神から知恵を授けられましたが、心に従って道を誤ったとき、試練に直面しました。知恵があったにもかかわらず、彼は誇りや欲望の罠に陥り、最終的には没落してしまいました。ソロモンの生涯は、最も賢い者でさえも、神の真理よりも自分の心を信じるときに躓くことがあるという、力強い戒めとなっています。
では、「知恵をもって歩む」とはどういうことでしょうか。それは、祈りを通して神の導きを求め、御言葉に親しみ、賢い助言者に囲まれることです。自分の理解が限られていることを謙虚に認め、人生の複雑さを乗り越えるために神の知恵が必要であると認めることが求められます。
現代生活の中でも、これは様々な形で現れます。人間関係や仕事の選択、日々の悩みなど、決断を迫られるときには、一度立ち止まって考えるべきです。私たちは衝動的に行動していないか、神の導きを求めているか。感情が判断を曇らせていないか、聖書の原則に基づいて選択しているかを問い直しましょう。
知恵とは単なる知識ではなく、神の御心に従って知識を実践することです。ヤコブの手紙1章5節は私たちを励まします。「あなたがたの中に知恵の欠けている人がいるなら、その人は、すべての人に惜しげなく、咎めることなく与えてくださる神に願いなさい。そうすれば与えられます。」神は、私たちが求め、導きを信頼するなら、必要な知恵を与えたいと願っておられます。
今日、私たちは自分の心ではなく、私たちを最もよく知っておられる方に信頼することで、知恵をもって歩むことを決意しましょう。神の知恵を求めるとき、私たちの理解が導く落とし穴から救い出されます。真の強さは自立ではなく、神の導きに謙虚に頼ることにあります。ですから、決断において知恵を祈り求め、神の変わらぬ愛に信頼して正しい道へと導いていただきましょう。