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聖書研究:善を行うことに耐える

聖書研究:善を行うことに耐える

By Admin — 2025年9月13日

しばしば圧倒されるように感じるこの世の中で、悪が善を覆い隠しているように思える時、パウロの言葉が深く響きます。テサロニケ人への第二の手紙3章13節:「兄弟たちよ、善を行うことに飽きてはならない。」この御言葉は、私たちの善を行う努力がどんなに小さくても、意味があり、忍耐するに値することを思い起こさせてくれます。

人生は困難に満ちています。私たちは試練や挫折、また自分の善行が気づかれず、評価されない瞬間に直面します。諦めたくなったり、疲れ果てて落胆し、自分の親切や努力が無駄だと感じてしまうこともあるでしょう。しかし、パウロは私たちに心を失わないよう励ましています。彼は、善を行うことは単なる義務ではなく、私たちの召しであり、信仰の現れであることを思い出させてくれます。

ひとつの親切な行いがもたらす影響を考えてみてください。見知らぬ人への微笑み、隣人への手助け、友人への励ましの言葉は、私たちが見ることのできない遥か彼方まで波紋を広げることができます。世界は善を切実に必要としており、私たち一人ひとりが闇を追い払う光に貢献する力を持っています。善を選び取る時、私たちは神の御心に従い、神の愛の器となるのです。

さらに、この歩みにおいて私たちは一人ではありません。神は私たちと共にいて、弱さを感じる時に力を与えてくださると約束されています。ガラテヤ人への手紙6章9節には、さらに励ましの言葉があります。「善を行うのに飽きてはならない。時が来れば、刈り取ることになる。ただし、弱り果ててはならない。」この約束は、私たちの労苦が無駄ではないことを思い起こさせてくれます。道が困難に思えても、忍耐する者には収穫が待っているのです。

日々の生活の中で、私たちは自分の行いの即時の結果に目を向けるのではなく、召しに忠実であることに目を向けるよう自分自身に言い聞かせましょう。毎日が親切や愛の種を蒔く機会です。それはボランティア活動であったり、同僚を助けたり、困っている人のそばにいることかもしれません。一つひとつの行いが大切であり、すべての瞬間がキリストの御性質を映し出す機会です。

善を行い続ける力を祈り求め、周囲の機会に気づき、神の完全な時を信頼しましょう。たとえ疲れを感じる時でも、私たちの善行は神に見過ごされることはありません。神は私たちの心をご覧になり、その恵みによって私たちの努力に報いてくださいます。

今日、少なくとも一つの善い行いをすることを決意しましょう。その時、自分が世界に広がる善の大きな流れの一部であり、善を行うことに耐え忍ぶことが非常に大切であることを思い出してください。善を行うことで、私たちは信仰の本質を全うするのです。