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聖書研究:謙遜の衣

聖書研究:謙遜の衣

By Admin — 2025年10月14日

自己宣伝や個人の成功が重んじられるこの世にあって、謙遜への招きは、時代に逆らいながらも本質的なものとして際立っています。使徒ペテロは初代教会への手紙の中で、「皆互いに謙遜を身に着けなさい」(Ⅰペテロ5:5)と勧めています。この簡潔でありながら深い教えは、私たちが自分自身の態度や周囲の人々との関わりについて省みるよう促しています。

謙遜とは、単に高慢でないことではありません。それは、他者を自分よりも優先するという積極的な選択です。すべての人の価値を認め、仕えられるのではなく仕えることを選ぶ決断です。私たちは日々の生活の中で、職場でも家庭でも、また地域社会でも、謙遜を実践する多くの機会に出会います。どんなやり取りも、キリストの愛を表し、話すよりも聞くことに努め、自分の高揚ではなく他者を高める機会となります。

私たちが謙遜を身に着けるとき、イエス様が示された模範を思い起こします。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、ご自分を無にして、僕のかたちをとり、人間の姿になられました」(ピリピ2:6-7)。神の御子は、弟子たちの足を洗われましたが、それは最も低いしもべの務めでした。この徹底した奉仕の行為は、神の国における真のリーダーシップと偉大さが謙遜の中にあることを示しています。

謙遜を生きることは、時に困難です。それは自分をさらけ出し、プライドや「正しさ」への執着を手放す覚悟を必要とします。私たちは皆、欠けがあり、恵みを必要としていることを受け入れるよう求められます。互いに謙遜をもって接するとき、愛が育まれる受容の雰囲気が生まれます。私たちは互いをキリストにある兄弟姉妹として見るようになり、不完全さと贖いの必要において一つとされます。

さらに、謙遜はキリストの体の中に一致をもたらします。「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」(ピリピ2:3)。こうして、分裂や敵意の壁が打ち壊され、愛と理解、赦しが育まれる場が生まれます。不和と争いに満ちた社会にあって、謙遜な心は希望の灯となり、周囲の人々にキリストの光を映し出します。

今日、私たちの心を省みるひとときを持ちましょう。プライドが忍び込んでいる部分はないでしょうか。自分の立場を守ることに急ぎ、耳を傾けることを怠ってはいないでしょうか。日々の歩みの中で、意識して謙遜を身に着けましょう。私たちの言葉と行いがキリストの愛を映し出し、仕え、励ます姿勢を通して人々を主へと導くことができますように。

謙遜は弱さではなく、神の御心と互いを結びつける強さです。救い主の足跡に従いながら、誇りをもって謙遜の衣を身に着けましょう。