聖書研究:目を覚まして、堅く立ち、強く
管理者より — 2026年10月20日
速く動き、わたしたちを多くの方向へ引っぱるこの世にあっても、コリント人への第一の手紙16章13節の呼びかけは、なお力強く語りかけています。「目をさましていなさい。信仰に堅く立ちなさい。男らしく、強くありなさい。」この言葉は、ただ古代の信者たちのためだけのものではありません。今日のわたしたちのため、すなわち家庭において、職場において、苦しみの中において、また人知れぬ静かな戦いの中にいるわたしたちのためのものです。
目をさましているとは、霊的な自覚をもって生きることを意味します。それは、何が自分の心を形づくっているのかを知らないまま、人生をただ漂うように過ごさないということです。わたしたちの周りには、信仰を弱らせ、思いを散らし、神への飢え渇きを鈍らせようとする声が満ちています。しかし、目をさましている信者は油断しません。何を自分の思いの中に入れているのか、何によって自分の霊を養っているのか、そして自分の注意がどこへ向かっているのかに気づいています。イエスは「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい」と言われました(マタイ26:41)。祈りは、わたしたちを目ざめさせておきます。それは、わたしたちを神の近くに保ち、何が起ころうとも備えさせるのです。
信仰に堅く立つとは、人生がわたしたちを揺さぶるときにも、根を張ったままでいることを意味します。感情は変わります。状況も変わります。人々の意見も変わります。しかし、神の真理は変わることがありません。恐れがわたしたちを動かそうとするとき、誘惑がわたしたちを曲げようとするとき、失望がわたしたちを打ち砕こうとするとき、そのような時が必ずあります。そのような時、わたしたちは自分自身の力を作り出す必要はありません。神がすでに語られたことの上に立つ必要があるのです。神の御言葉は堅い地です。神の約束は確かです。神の恵みは十分です。
「男らしくしなさい」というのは、勇気と成熟をもって行動することを意味する古い表現です。それは、無気力、弱さ、そして霊的な怠慢を超えて立ち上がるよう、わたしたちを招いています。神は、わたしたちに声高であることや高ぶることを求めておられるのではありません。忠実であり、責任を持ち、勇敢であるようにと召しておられるのです。真の強さは自己信頼の中にはありません。それは神への服従の中にあります。わたしたちが神に従うとき、神は、たとえそれが困難であっても正しいことを行う勇気を与えてくださいます。
そして最後に、「強くありなさい」。これは、人間の力だけに頼れという命令ではありません。主から力を受けるようにとの招きです。「主はわたしの力、わたしの盾」(詩篇28:7)です。わたしたちが弱いと感じるときでも、主は弱くなられません。わたしたちが圧倒されると感じるときでも、主は変わらず真実であられます。強さは、隠れたところで、祈りの中で、従順の中で、そして信頼の中で育つのです。
今日、目をさましていなさい。堅く立ちなさい。勇気を持ちなさい。主にあって強くありなさい。戦いは現実かもしれません。しかし、神の力もまた現実です。そして神とともにあるなら、あなたは立つことができます。