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聖書研究 苦難の時のとりで

聖書研究 苦難の時のとりで

By Admin — 2026年3月16日

不確実と混乱に満ちた世界の中で、私たちはしばしば人生の嵐から避難所を求めます。ナホム書1章7節は私たちに深い真理を思い出させます。「主はいつくしみ、苦難の日のとりで、彼に寄り頼む者を知っておられる。」この聖句は、神の揺るがぬご性質と、私たちの守り主、避け所としての神の役割を力強く思い起こさせてくれます。

私たちが困難に直面するとき――個人的な危機、健康上の問題、経済的な苦労、人間関係の悩みなど――最初の本能は自分の力に頼ったり、周囲の世界から助けを求めたりすることかもしれません。しかし、ナホムは私たちを真の力の源、すなわち主ご自身へと立ち返らせます。主は一時的な解決策ではなく、とりでであり、人生の重圧に屈しない安全な場所なのです。

「とりで」という言葉は、要塞や、最も激しい嵐にも耐える堅固な建造物を思い起こさせます。私たちの人生でも、すべてが圧倒されるように感じ、苦しみの重さに耐えきれないと感じる瞬間があるかもしれません。そのような時こそ、私たちには「良いとりで」があることを思い出すことが大切です。主のいつくしみは、私たちの状況によって左右されるものではなく、神ご自身の本質なのです。

あなたが迷いや孤独を感じた時を思い出してください。そのような時、あなたは神を避け所としましたか?私たちはしばしば最も深い苦しみの中で、神のいつくしみと愛の深さを知るのです。神は私たちが苦しみから解放されることを約束されたのではなく、苦しみの中で共にいてくださることを約束されました。神は私たちに重荷を持って来るよう招き、私たちを知り、深く心にかけてくださることを保証してくださいます。

神をとりでとして信頼することは、信仰を必要とします。それは自分でコントロールしたいという思いを手放し、先が見えなくても神のご計画に希望を置くことです。この信頼の行為の中で、私たちは混乱の中にも平安を見出します。神のいつくしみに身を寄せるとき、私たちは自分の苦しみを新しい光で見ることができるのです。嵐はなおも私たちの周りで荒れ狂うかもしれませんが、神が共におられるという確信にしっかりと立つことができます。

今日の課題に直面するとき、あなたは一人ではないことを思い出してください。主があなたのとりでです。祈りの時を持ち、主の御前に出て、そのいつくしみを思い巡らしましょう。それが、あなたがどんなことに直面しても、あなたの力となります。主を信頼し、その平安があなたの心を守るようにしましょう。

どんな苦しみに出会っても、自分自身にこう言い聞かせてください。「主はいつくしみ、苦難の日のとりで。」主のいつくしみを受け入れ、それを今日も、そしていつも、あなたの土台としましょう。