期待を超える神
By Admin — 2025年7月24日
人生には、忘れられたように感じたり、見過ごされたり、祈りが答えられずに響き渡るだけのように思える瞬間があります。
私たちは疲れた手で夢を握りしめ、神が本当に私たちの声を聞いておられるのかと疑問に思います。しかし、そんな時、聖書のページから神聖なささやき、聖なる約束が疑いや遅れの雑音を切り裂いてやってきます。
📖 エペソ人への手紙 3:20
「どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてを、はるかに超えて行うことのできる方に、」
この御言葉は単なる約束ではありません。それは神の圧倒的な寛大さ、限りない力、そして優しいタイミングの啓示です。
それは、神は私たちの期待を満たすだけではないと語っています。
神はそれを超えてくださるのです。
私たちが神を待つ間、ただ耐えるのではなく、信頼し、忍耐し、そして神の完全なご計画を信じるようにと招かれています。



聖句の分解と解説
🔹 「今、…その方に」
これは親しい父なる神を直接指し示しています。「今」はまさにこの瞬間、今ここでを意味します。神は今この瞬間にも力ある方です。
🔹 「…私たちが願うところ、思うところのすべてを、はるかに超えて行うことのできる…」
ギリシャ語でパウロは 「ὑπερεκπερισσοῦ ὧν αἰτούμεθα ἢ νοοῦμεν」 という表現を使っており、これは「私たちが願うところ、思うところのすべてを、はるかに超えて」と訳されます。
ὑπερεκπερισσοῦ(ヒュペレクペリッスー)は非常に珍しく強調された複合語で、「無限に多く」「非常に豊かに」「あらゆる尺度を超えて」という意味です。
これは誇張表現をさらに強調したものであり、神はあなたの祈りや思いを超えるだけでなく、計り知れないほど大きく超えてくださるという意味です。
神はあなたが願うことや想像することに縛られません。神は人間の限界や希望、理性を超えて、神のあふれる恵みへと導かれます。
🔹 「…私たちが願うところ、思うところのすべて…」
これには、ささやかれた祈り、静かな願い、口に出せない夢のすべてが含まれます。言葉にできなかった思いさえも、神はすべてご存知です。
🔹 「…私たちのうちに働く御力によって」
この力とは聖霊です。それは私たちが得なければならない力ではなく、すでに「私たちのうちに働いている」力です。
神は外側の道具を必要としません。
神はすでに私たちのうちにあるものを用いて、ご自身の栄光を現されます。
💡 エペソ3:20の文脈
パウロは獄中からこの手紙を書いていますが、計り知れない力と希望について語っています。それだけでも力強いことです。少し立ち止まって、このことを考えてみてください。
この箇所の文脈は、パウロがエペソの人々のためにキリストの愛の深さを知るようにと祈った後(エペソ3:14–19)に続きます。
彼は祈りを、私たちが思い描く以上のことをなさる神を賛美して締めくくります。要するに、パウロは教会(そして私たち)に、私たちの限界に関わらず、神は無限であることを思い出させているのです。
エペソ人への手紙 3:19 - 「また、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができ、こうして神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。」

❤️ 現代への適用
私たちは即時の満足、翌日配送、即時メッセージ、ファストフード、手早い解決が求められる世の中に生きています。
神は永遠のタイミングで働かれ、地上の緊急性には従いません。神は私たちに忍耐を求められます。なぜならより大きなものを備えておられるからです。
だから、あきらめそうになったとき、思い出してください。神はあなたを忘れていません。
あなたの待つ時間は無駄ではありません。神はあなたが想像もできない神のご計画を用意しておられます。
🔥 魂を探る自己吟味と内省の質問
これらの質問は、自分の内側を見つめ、深く省み、より神の心に一致するためのものです。
心のチェック
- 私は本当に神のタイミングを信頼しているか、それとも自分の計画を無理に進めようとしていないか?
- 神が私を祝福したいと信じているか、それとも神の最善以下で妥協していないか?
- 恐れや疑いが、私の祈りや神ができると信じることを制限していないか?
思いと考えの生活
- 私の思いは信仰で満たされているか、それとも心配で満たされているか?
- 神の約束を黙想しているか、それとも失望を繰り返し思い返しているか?
- 「はるかに豊かな」祝福を信じるために、どうすれば思いを新たにできるか?
祈りの生活
- 私は大胆な祈りをしているか、それとも待つことに疲れて祈るのをやめてしまったか?
- 祈りは具体的か、それとも曖昧でためらいがちか?
- 神のもとにもう一度持っていくべき、埋もれてしまった夢や祈りは何か?
霊的成長
- 神がすでに私のうちに置いてくださったもので、まだ用いていないものは何か?
- 私のうちに働く力を認識しているか、それとも無力な者のように生きていないか?
- 聖霊とのより深い親密さをどうすれば育むことができるか?
🔗 関連聖句
エレミヤ書 29:11
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

イザヤ書 55:8-9
8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主の御告げ──
9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
ローマ人への手紙 8:28
「神を愛する人々、すなわち、ご計画に従って召された人々のためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
ガラテヤ人への手紙 6:9
「善を行うのに飽きてはいけません。失望せずにいれば、時が来て刈り取ることになります。」
詩篇 27:14
「主を待ち望め。強くあれ。心を強くせよ。主を待ち望め。」



🙌 結論
神は「ぎりぎり十分な」神ではありません。神は十分以上の神です。信仰をもって待つとき、私たちは願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて受け取る立場に置かれます。待つことは痛みを伴うかもしれませんが、決して無意味ではありません。
忍耐しなさい。
神を信頼しなさい。
神はあなたを見ておられます。
神はあなたの声を聞いておられます。
神が計画しておられることは、あなたの想像を超えています。
神が今も働いておられるという真実に、心を安らかにしましょう。
🙏 祈り
愛する天の父よ、
私がかすかにささやく夢や、時に祈ることさえ恐れる祈りを、あなたはご存知です。あなたは沈黙の痛み、長い夜、待ちの中に埋もれた深い希望をご存知です。
それでもあなたは、私が願うこと、思うことのすべてをはるかに超えて行ってくださる神です。ですから私は自分のタイムラインも、期待も、限られた理解もあなたに委ねます。
静まることを教えてください。信頼することを教えてください。
あなたが備えておられるものが、私の祈りよりも大きいと信じる勇気を与えてください。
主よ、私の周りだけでなく、私のうちに働いてください。
あなたの力が私の魂の静かな場所に満ちあふれますように。
すべての遅れの中に、あなたが神のご計画を設計しておられることを思い出させてください。
私はあなたを信頼します。
私はあなたを信じます。
そして希望をもって待ちます。
イエスの御名によって、
アーメン。